ひとりあそびがくるしいので

性的にプライベートな内容に言及しています。
セックスシーンの描写はありません。



 サフィールは自身の欲を一人で処理することができない。
 いや、処理することを極端に避ける、と言った方がいいかもしれない。所謂「溜まっている」状態、精嚢に一定以上精子が生成された状態になれば、事務的であれ何であれ、早めに一人で処理するのが一般的だ。しかし、サフィールは本当にぎりぎりまでそれをしない。「そういった欲が薄い方なんです」と本人は言っていたが、そうでないことは目に見えて明らかであった。イライラする、ボーっとする、タスクの処理速度が落ちるといったことがそう長くはないスパンで発生しており、「明日もこのような様子であればいよいよなんらかの措置を講じなくてはならない」と部下のだれもが思った次の日、何事もなかったかのようなフラットな状態で研究所にやってくるサフィールを、ジェイドは何度も見てきた。
 プライベートなことであるし、納期に遅れがない範囲であれば特に言う必要もないだろう、としばらく放置をしてきたが、ある日、サフィールのほうから相談があったのだ。
 曰く、処理を手伝ってほしい、と。
 それは、彼の担当班の中でもはや恒例のように起こっている「もし明日もこうだったら」、の、その日であった。サフィール自身も班に迷惑をかけていることは自覚しているし、何より自分のパフォーマンスが落ちることに歯がゆい思いでいたようだ。しかし、
「どうしても、触りたくないんです」
 絞り出すような声で、ややがさついた、低い声で、彼は打ち明けてきた。
 曰く、勃起状態の自身を触ることに、ひどく抵抗があるとのことだった。それを触ることは、自身が勃起していること、そして、それに刺激を与え射精をしようとしていることを認めることで、自分のありたい自分ではないような感覚になり、それがどうにも言えず苦しいのだと。
 サフィールは自身が情けない、といった様子で、どんな嫌味が返ってくるかと怯えている様子だった。しかしそんな彼の心配とは裏腹に、ジェイドは腹に落ちる感覚を得ていた。
 ジェイドとサフィールは恋人関係にある。様々な手続きを経て今は住まいも一緒だ。お互い以外に恋人を作らないことを約束しているし、相手と手をつないだり抱きしめたりすることにひとつひとつ許可を取らない。
 しかし、自分たちの間にはセックスがなかった。今までの経験から、恋人関係にある場合はセックスをするのが一般的であると認知してきたが、サフィールからその提案が全くなかったのである。ジェイド自身サフィールに性的欲求を抱かないこともなかったが、合意形成について慎重に考えた結果、明確な意思表示があるまでは触れないつもりでいた。お互いどこまで求めるのか、挿入を求めるのであれば、ポジションはどちらにするのか、準備をどの程度するのかなど、合意形成の過程が多い事項を恋人関係というところでスキップしてしまうことの不合理さを、想定してのことだった。
 そのようにジェイド自身で決めて以降これまで、サフィールからセックスの提案が全くなかった。一度、そういうことを求めるかどうかを彼から確認されたが、上述のことから、ジェイドは必ずしも必要ではないと回答していた。その時のサフィールがどこか安心したような表情だった記憶が鮮明で、ジェイドはより一層、性的なことに関して言及しないという姿勢をとることにしたのだ。
「……手伝う、というのは」
 ジェイドは努めて、仕事の時のようにフラットな声を通した。それは、彼に長い間一人で問題を抱えさせてしまったことに対するショックを隠すためでもあり、やっと打ち明けてもらった嬉しさを隠すためでもあった。
「あ、ああ……あの、私の代わりに、触って、ほしい……のです。」
 サフィールにそれが伝わったとは考えにくいが、そのフラットな様子に、ややリラックスしたようだった。ジェイドがこのようなプライベートなことをからかう人間ではないとよく知っているが、そう思う分、予想を裏切られた時のショックは大きい。サフィールの怯えた姿勢は、そんな無意識な予防によるものだろう。
 ジェイドは軽く息を吸い、唇を結ぶ。やや思案したうえで、
「一つ確認ですが」
 サフィールと目を合わせた。やや紅の入った紫色の瞳が、不安に揺れている。
「は、はい。」
「触るのは構いません。その時の対応についてです。」
「はい。」
「……医者のように対応したほうがよろしいですか?つまり、あくまで事務的に。」
「あ……」
「それとも……」
 ジェイドの冷たい手が、サフィールの手に重なる。
「恋人として、触ってもいい?」
 サフィールの体温が分けられて、二つの手の温かさがなじんでいく。サフィールが回答するまで、そのくらいの時が経ったのだ。
「……事務的に、対応してもらったほうが、ありがたい、です。」
「……なるほど」
「でも」
 一つになったあたたかさが離れようとする。
 それを、つなぎとめたのはサフィールの手だった。
「恋人として……触ってもらえると…安心、するかもしれません。」
 今度はサフィールのほうから目を合わせる。手がもう一度離れて、それはジェイドの髪を梳いた。頬に添えられた手も、触れた唇も、交わった息も、すべてがどこか少し震えていて、ジェイドはたまらなくなってサフィールを抱きしめた。
 自身の思いが伝わるように。
 彼が少しでも安心できるように。


自身での処理が苦しいディストと、それに努めて優しく触れたいジェイド。

2022.12.17.9:07